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 Interview #

15

2026

 年

7

 月

創業者とサーチャーが語る、アットワールド社の事業承継

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浜端昌也(創業者・前代表) x 上田顕(現代表)

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vol.1 | 留学は、人を強くする。-アットワールド創業者の想い-

-創業者の想いを、次の経営者へ。留学支援を通じて、未来を紡ぐアットワールド社の事業承継-

2002年の創業以来、株式会社アットワールドは、高校生の正規留学支援を中心に多くの生徒と保護者に寄り添ってきました。そのアットワールドを創業し、20年以上にわたって同社を育ててきた浜端氏。そして、サーチファンド・ジャパンの支援を受けて事業を承継し、現代表を務める上田氏。

今回のインタビューでは、浜端氏がアットワールドを創業した背景、留学支援という仕事に込めた想い、そして上田さんに事業を託すことを決めた理由を伺いました。あわせて、事業承継のプロセスと、承継後に見えてきた会社の変化について、お二人に率直に伺います。

-まず、浜端さんのこれまでのご経歴からお聞かせください。アットワールド社を創業される前は、どのようなお仕事をされていたのでしょうか。

(浜端)大学卒業後、新卒で専門商社に入りました。ただ、もともと起業志向が強かったので、会社勤めを長く続けるつもりはなかったんです。実際、働き始めてみたものの長く我慢することができず入社して4カ月で退職しました(笑)。退職後は商売のイロハを自分なりに体験したいと思い、和歌山でみかんや魚を仕入れて大阪で売るというような、行商に近いことをしながら何の事業を始めるかと計画を立てる日々を送っていました。軽トラックを買って、ゼロから始めましたね。当時は、事業の規模や形にこだわるというより、とにかく自分で商売をしてみたいという気持ちが強かったですね。

―ご自身で商売を手掛る中、アットワールドを創業されます。創業のきっかけと、留学支援という領域を選んだ理由を教えてください。

(浜端)最初のきっかけは、起業雑誌で見つけた留学エージェントのフランチャイズ募集の広告でした。名古屋の英会話教室が、海外留学事業を全国展開するという内容で、「こういう仕事があるのか」と初めて知りました。

 私は、大阪の公立高校に通っていた高校3年生のときに、アメリカへ交換留学した経験があります。当時の経験はとても濃く、人生に大きな影響を与えてくれたと感じていました。そんな留学という体験を支援することに意義を感じたこと、また、留学エージェントは在庫を抱える商売ではないので、大きな資金がなくても始められることから、自分にもできるかもしれないと思い、最初は募集のあったフランチャイズに加盟して個人事業としてディーサイド留学情報センターを1999年に創業しました。

 しかし創業1年ほどで本部の経営の危うさが露見する場面が見られるようになりました。実際、資金繰りがうまくいってなかったようです。フランチャイズではお客様の留学費用を本部経由で支払うため、お客様の留学費用に万一のことがあってはと思い、ほどなくフランチャイズから脱退することを決めました。

 その頃にはもう現場が回り始めていて、本部の役割であった留学手配の流れも理解していましたし、営業もお客さんとの関係づくりも自分たちでできているという手応えがありました。そこで、本部に依存するのではなく、自分たちでやっていこうと決めました。脱退後も安定して経営ができる手ごたえをつかみ2002年に法人化。それがアットワールドの創業です。

―アットワールド社は留学支援の中でも、特に高校の正規留学に強みを持つエージェントかと思います。創業当時から、正規留学を主体とされていたのでしょうか。

(浜端)本当は当初から、自分にも馴染みのある高校留学に携わりたいと思っていました。ただ、実績もないまま、裸一貫で参入していくのはとても難しかった。ですから、最初は語学留学やワーキングホリデーのように参入しやすい領域から始めて、そこで実績をつくり、提携校のネットワークを増やしながら、徐々に正規留学へと広げていきました。高校の提携先づくりは簡単ではありませんが、お客様の要望に応え、地道に一校一校開拓し、関係を築いていく。ただ、その積み重ねでした。最初に手応えを感じたのが、今でも深いお付き合いのあるカナダのラングレー学区とのお仕事でした。

―地道に一校ずつ提携先を開拓しつつ、領域も広げていかれたのですね。当初は、ビジネス面でも組織面でも、かなり手探りだったのではないかと思います。創業からここまで、振り返ってみてどのようなご苦労がありましたか。

(浜端)自分ではあまり「苦労していた」という感覚はなくて、当時は若かったこともあって、「とりあえず食べてはいけるな」と考えていました。ただ、精神的なプレッシャーは常にありました。留学支援は、お客様のリピートが積み上がる商売ではありません。今月よくても来月どうなるか分からない、毎月の売り上げ差がかなり大きいビジネスです。結局、決算では安定して右肩上がりを続けられていたのですが、心からもう心配しなくていいかなと感じれるようになるまで10年以上かかりましたね。創業直後は、心斎橋のアメリカ村の三角公園前という、人通りの多い場所に出店して、看板やフリーペーパー、雑誌など紙媒体で集客していました。ホームページもまだあまり活用されてない時代です。実績もなく集客もすぐには効果が出るものでもない。振り返ると創業直後の3カ月間が最も厳しかったと記憶しています。

 もう一つ難しかったのは、人に任せる怖さでした。高単価の留学ビジネスは1人1人のお客様は本当に貴重です。社員に任せて、もし契約できなかったら、という気持ちが強くありました。最初は、自分が売って、自分で回して、抱えきれなくなった分だけお願いするというやり方でした。人数としては、友人に手伝ってもらったり、ハローワークで採用したりして、創業期はわずか3人の組織でしたが、組織が大きくなっても心理的には長いこと「自分でやりたい」感覚が抜けなかったですね。

―創業から20数年間、今あるアットワールドを少しずつ形にしてこられたわけですね。長く留学支援に携わる中で、この仕事ならではのやりがいも強く感じてこられたのではないかと思います。改めて、どのようなところにやりがいを感じられますか。

(浜端)一番のやりがいは、留学そのものの価値を心から感じられる瞬間です。実際に留学に行った生徒さんが困難を乗り越えタフになり、大人になって帰ってくる。無口だった子がおしゃべりになったり、ご両親から「子どもに感謝されました」というお言葉もいただいたり。その瞬間に、この仕事のやりがいを強く感じます。留学で得られる学びは、語学だけではありません。もちろん英語ができるようになることも大事ですが、それ以上に、違う文化の中に身を置いて、自分で考え、自分で行動する経験が大きい。思い通りにいかないこともありますし、打ちのめされることもある。でも、そこから立ち上がる経験が、人を強くするのだと思っています。若い時期のそうした経験は、その後の人生に大きく影響します。だからこそ、留学支援という仕事には、単なるサービス業を超えた意義があると感じてきました。

―ここからは、アットワールドを承継された上田さんにもお話を伺っていきます。まずは、上田さんのこれまでのご経歴をお聞かせください。

(上田)大学卒業後は三井住友銀行に入り、法人向けのグローバルビジネス支援に携わりました。その後、アクセンチュア戦略グループへ移り、金融業界向けの戦略案件やM&Aディールの案件に関わりました。次のキャリアは、もともと学生時代に目標と決めていた球団経営をやるべく、楽天野球団を選択しました。最初はマーケティング領域から入り、社長直下で、チームマネジメントや選手契約、DX施策に至るまで、経営に近い仕事をさせてもらいました。

 その後は、PEファンドの投資先企業で経営に入るキャリアを選びました。日本ポップコーンではCOOとして入り、半年後に社長を務めましたし、その後の他のファンド投資先でも最高変革責任者として、経営改善や変革を現場で主導してきました。振り返ると、経営、戦略、グローバルというテーマに接してきたのと同時に、一貫して企業の現場に深く入ってきたキャリアだったと思います。

―金融、コンサル、スポーツビジネス、そして企業経営と、かなり幅広いキャリアを歩まれてきたのですね。改めて、なぜプロ経営者として自ら事業経営を担う道を選ばれたのでしょうか。

(上田)自分では「プロ経営者」という言い方はあまりしませんが、マネジメントそのものへの関心はかなり早い時期からありました。中学時代、監督が不在の中、野球部でキャプテンを務め、自分で考えてチームを動かす必要がありました。そこでドラッカーの考え方にも触れて、マネジメントというものに興味を持ちました。

 キャリアの中でそれがより明確になったのは、楽天野球団時代です。偉大な経営者の直下で意思決定の近くにいたことで、「いずれは自分が経営を担う側に回りたい」という意識が強くなりました。もう一つは、外から支援するだけではなく、中に入って変えていく方に自分はダイナミズムを感じるということです。ゼロから1をつくることにも興味はありますが、すでにある事業や組織に外から入って、その会社が持つ可能性を引き出しながら変えていく。その方が自分の性にあっていると感じています。

―プロ経営者キャリアを歩まれてきた中で、なぜ次のキャリアとしてサーチファンドという形での事業承継を選ばれたのでしょうか。

(上田)PE投資先での経営は、ある意味で「雇われ経営者」です。もちろん、それはそれで非常にやりがいがありますし、高い目標遂行能力が求められる厳しい仕事です。実際2社PEファンド投資先で経営者をやってとてもやりがいがあり、結果も出せてとても充実した期間でした。直近の案件がexitフェーズとなり次どうすると考えた時、勿論また違う案件に行く選択肢もありましたが、私としては、プロ経営者を経て、経営の真髄により近づきたいという思いが強くなっていました。

 結局、資本主義の世界では誰がどれだけオーナーシップを持つかが大きいので、より主体的に経営を担うためには、自分が資本も持つ立場に近づいていく必要がある。ただ、自分はファンド業をやりたいわけでなく、あくまで経営者として現場でやりたい、なので投資家兼経営者の道を選びました。自分でもマイクロキャップの投資を考えて動いていた中で、サーチファンドの仕組みは前から知っていて、これを機にサーチファンドも検討してみようとなりました。

―ここまで、アットワールド創業の原点と、上田さんがサーチファンドを通じた事業承継を志すまでについてお伺いしました。vol.2では、お二人の出会いから事業承継の決断、そして承継後の取り組みと会社の変化について、お二人に率直にお伺いします。

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▼創業者の想いを、次の経営者へ。 留学支援を通じて、未来を紡ぐアットワールド社の事業承継

vol.1 | 留学は、人を強くする。-アットワールド創業者の想い-

vol.2 | 社員の未来を託す。-アットワールド承継の想い-

インタビュー一覧

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創業者とサーチャーが語る、アットワールド社の事業承継

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